なぜ幸福のために行動できないのかについて

いつでも自由意志で最善の行動を出来るはずなのにどうして全然幸福じゃないのか,24時間体制で向き合っているはずの自分の幸福すらどうして定義できないのか,まじで意味不明すぎないですか?

 

こういう荒ぶったときの一過的な思考を吐き出してもあまり意味ないのだろうけど.なのでどうせすぐ消すでしょうけど

 

今現在どうあれば幸福であるか,ということを定義できていない.というより毎日の情緒の波が激しすぎて,拠り所が定まらない.人間関係の些細なことで激しく落ち込むし,研究やアルバイトで失敗すればしばらく立ち直れないし,かと思えば急に幸せでしょうがない気分にもなる.躁鬱の気質だろうと思う.

自分にとって目下の幸福は恐らく「鬱よりの状態を回避すること」だ.つまり人間関係でミスらない,研究で批判されない,バイト先で怒られない.そんなもの,定義できたと言えるのか.引きこもるのが正解じゃん.本気でヒモになる方法を探すか.

そういう選択肢はないものとして生活しているので,あらゆることを「ミスらないように頑張る」ということを目指している.しかしどこまでいっても他人の評価次第なので,ずっと無力感が残る.こういうことに必死になっていると,趣味に没頭したりとかのもっと積極的な幸福の獲得を目指す気力もなくなってくる.

 

なんとなくわかってきた.自分は幸福を見ているのではなくて,回避したいものにばかり注目している.回避したいものはどこからでも襲ってくるから,これぐらい気をつければ大丈夫とはならない.どれだけ丁寧に仕事したつもりでも,上司から罵倒される可能性はいつまでも残っている.

そんなもののことを24時間考えていれば,幸福なんてどうでもよくなってしまう.きっと自分は会社に入ったら,真っ先にサービス残業するだろう.定時内で出すようなアウトプットはリスクが大きすぎる.リスクを回避するためなら土日のプライベートなど取るに足らない.

本当は全然そんなことなくてどんどんどんどんストレスがたまっていくのに,残業してるときの気持ちの安らぎが中毒になってしまって抜けられない.

 

めちゃくちゃなことを書いているとは分かっていながら実に腑に落ちてしまった.